色鮮やかな紅葉の披露宴も終わりを迎え、厳しい冬の季節がやってきた。一昨日くらいまで、長袖長ズボンで散歩するのがちょうど涼しいくらいの感じであったのに、今日は外に出た瞬間に、自分の身が薄着であるのを感じさせらる。
二十四節気では、今頃の時期を「立冬」と呼ぶ。恐ろしく正確なネーミングセンスだ。単に冬が立つと書くだけなので、正直なところ情緒の欠片もない名前だと思うのだが、その合理性だけはよく分かる。確かに冬が立った。
そろそろセーターやら羽毛布団やらを、棚の奥から引き出して来なければならない。そうなると冬の乾燥した空気で、指先と綿毛の間に静電気が飛ばないかが心配になる。あらかじめ、少しだけ手を水などで湿らせると良いだろう。
指先に起きる静電気は恐ろしいが、それ以外の場所であればそれなりに見ものである。夜中に羽毛布団とパジャマの袖をわざと擦りつけると、たちまち静電気の火花が起きて面白い。自分の枕元で雷の再現が出来るのだから、これほど身近な理科実験もあまりない。まだ電気科学も発達していない時代の人たちは、この静電気と雷の類似を一体どう捉えていたのだろう?こういう現象もやはり一種の魔法と見做されていたのではあるまいか。中世の時代なら、夜中一人でこっそりと、布団の中で静電気を起こしては、その禁忌の魔術研究に勤しむ不逞な輩もいたのかもしれない。想像が尽きない。
さて羽毛布団を用意すれば布団の中は暖かいが、今度は朝布団から外に出るのが大変になる。とりあえず朝起きたら、ストーブの置いてある場所まで最速で近づいて、すぐさまスイッチを入れてからまた布団に戻ろう。そうして部屋が暖かくなるまで二度寝するのが、冬の朝の醍醐味だ。
余談だが私はエアコンよりストーブの方を好む。暖房はエアコンの方が部屋の広範囲に行き届くし、その暖まりも早いのだが、温風がびゅうびゅうと吹いているのが私には受け付けない。灯油のじんわりと広がる温かみの方が、心地よい。単なる時代遅れの感想かもしれないが、そう感じるのにも実はちゃんとした訳があるのではないか。つまりは文明が生まれる遥か昔から、人類は火を炊いてその周りにうずくまり、身体の寒さを癒してきたわけで、急にエアコンで周囲の環境が冬から夏に変わるような変化に、人の身体がきちんと適応できるとは思えないのだ。ストーブのそばで手をかざして身体を温める方が、人間の古来からの習性にフィットしていて健康的なのではないかと思う。
またストーブにはもう一つ、エアコンにはない利点がある。すなわち天板の上でお湯が沸かせることだ*1。暖房と加湿が同時にできるし沸いたお湯でココアが飲める。冬の朝には持ってこいだ。ちなみに、昨日11月7日はなんとその「ココアの日」であったらしい。なんでも、この立冬の時期にココアの需要が跳ね上がることから、日本初の飲用ココアの一貫製造を実現した森永製菓がそう制定したとのこと*2。私も今日初めて知ったが「色んな人がいるように色んな日があるものだ」くらいの月並みな感想しか湧いてこない、がまぁ美味しくココアを頂こう。厚着のセーターとストーブ、ココアの三点セットで、冬の朝対策はバッチリだ。
支度を済ませて外に出ると、新鮮な冬の空気が肌に触れる。澱みのない、溌剌とした乾いた空気だ。ここに息を吹きかけると、たちまち白い煙となる。そして日光の直射に照らされて、露となり姿を消す。冬の到来だ。
*1:ただしポータブルのものに限るし、空焚きも危険。そんなこと一々書かなくても分かるはずと言えた時代も今は昔
*2:https://www.morinaga.co.jp/public/newsrelease/web/fix/file580d5c0d3def5.pdf